あらゆる視点で、絵画におけるデザインの可能性を考える。

昔、いやまだ20代の頃、建設の内装、インテリアの営業に就いたことがある。
壁紙、クロスなどを下地を整え、特殊な糊で壁紙をきれいに張る作業だ。
当時、一世を風靡した。
いま、わたしは、これだ!と思った。
オリジナル壁紙!の世界!
もっとアーティストは自己主張するべきだ。
わたしは壁紙が、建設よりでなく、アーティステックな方向がもっと表に立つべき
と思う。
アーティストはキャンバスを置いて、壁紙の制約に向き合わなけばならない。
わたしは、それに挑戦しよう。
場所は関係ない。
だってネットで、私の意見を公開しているのだから。
沖縄から北海道まで!

そう、すべての、こうじゃなきゃだめだ!の先入観からの
離脱、さよなら!を実行していこう。
そして、はじめから、あらゆる壁紙制約に沿った制作に着手!
2023 1 1

3DCGとの融合!簡易なやつでね!

コンピューターをやっていると、どうしても目に入ってしまうもので3DCGがある。
今、アナログな油絵をやっていると、どうしても頼りたくなる。
簡易のもので、アプリとして六角大王か、SHADEあたりを考えたい。
考えたい、と言っても、ずいぶん、むかし手を出したもので、あんまり
お金を使わず、成果だけをできるだけピックアップして商品化したい。
だって腕がうご・・・・・・えっ、都合がいい?
何かにつけて障害をたてに甘えてる、だって!
んんんんーだから、1から勉強して、あまえとか別世界のものにしてみせる。
なんて冗談はさておいて、壁紙につかえないかな!
建設関係のデザインに今からやっていれば、役に立つ、と思う。
3Dもだれでもできるようになって、それでも久しい。
いまはどうなってるかわからないけど、フロンティアであることは
まちがいない。
問題はデザインだ。
わたしのこの発想法でデザインの中に3Dを組み込めば、いい線行きそうだ。
も、問題はべんきょうだ。
べんきょう、べんきょう!!だ!
3D知ってる人は分かると思うけど、OOOOとXXXXなのだ。
それを克服するのに、最後にタイマイはたきそうだ。
そうなれば、そうなった時でだれかお金を出資してくれるかな!
そのまえに誰かやっている、だって!
心配ご無用!できるならとっくに、やってるよ!

アート的な映像との違いは微妙な総合表現力

私が、わが商店街の(すごく小さい)ローカルどさまわり催しをヘルプしていた時
こりゃいかんなあ!と思ったことがあった。
いかんいかんな!

そう言うことには、われらが商店街は役立たず、で、たいがい私に、(無料で)
回ってくる。仕事しながら大変だった。
PR映像とか、コロナ予防の啓発など、簡単な映像制作とか、いろいろで
こちとら真剣に分かりやすく作っていたけど、街じゃただ流れておわり!を
繰り返した。
なんだったの?とか
わたしはわからんけど、いいんじゃない。とか
けっこう無駄な金をつぎ込んだので、終わりしようと思っていた。
そうしたら、脳出血で倒れてしまい、人生また1からスタートとなった。
だけど時間はありあまるほどある。
つぎは絵の世界である。
つい先だって、またもや商店街から連絡があって催しものを手伝ってくれとのこと!
右手動かないのに!
手伝ったね、なぜか!
ひとりで!
  
あらゆる犠牲(カセットとのCD取り込みとか)をはらいながら!
  
やはり、ステージで表現されるあるものは、中途半端で、いかんと思ったね。
褒めるのはいい!
ほかの有名な題材をもってきて、いいですね先生!となるといかんともしがたい。
 
もっと全体的クオリティがあがったら、大先生となるんだろうか!
それよか著作権はどうなるの!
著作権などしらん!と言うのだろうか?
  
絵でも著作権は重要なものだ。
とにかく真似は、ばれないと思うなかれ、最後につまずく!
 
もうやはりオリジナルで勝負しないといけない!
オリジナルは、総合的表現力を網羅しつつ、微妙に、すこし違うとこに存在する。
 
えっ、あなたの映像見てみたいって!
ご自由にどうぞ!
2023 1

制作に架空にはびこる、一人歩きの猫たち。

絵を描く、私が最近気が付いたことがある。
私の手から放れていく感覚、自分の描いたキャンバスが、主人公が、ネコたちが!
どうしたんだろう。
ただ、最初は写真にそって描いてたのに!
おいおい、どこへ行く!
ご主人様は、わたしだよ。
なのに、一人歩きのねこたち!
その角曲がって、いっちゃった!
つまり、パステルや油絵はただの道具で、描いたものが物質であれば、こころに響かない。
PCは手も、道具も汚れないけど、そして仕上がりも美しいけど、しゃべらない、動かない。
実際しゃべらないけど、予感的な。
 
こちらに、作家に必要なものは、
まずは、モデルに対して、生きている、生きていた思い入れ、
偶像じゃなくてモデルとしての存在価値が必要だし、
作家の言うこときかない摩訶不思議さ、そんなかわいらしさ、とかを、
半分半分もっていると、すごく楽しくなっていくと思う。
2022 12

わたしはなに?わたしは、トータル絵描き、詩人なのである。

天井桟敷の吟遊詩人
どうしても、言いたい。
わたしは本当は吟遊詩人で喰っていく、いきたい。
これほど当てはまる役はそうない。
天井桟敷の吟遊詩人!
いい!
  
わたしが身体障害者になって、障害者がどんだけ特別視されるかが
わかった。悪い意味で!
絵を描き始めて、よ~~くわかった。
ぼくらは絵など描いてない。
本当の意味で、芸術という高みがあったとしよう。
芸大でて、なにがしらの新しさの武器にして
かれらは芸術をしようとする。
それはそれでいい。
ぼくらはそんな世界は必要ない??

ないのである。
  
ある子が賞を取り、思い上がり、やはりその高みをめざし
施設に来なくなった。
民家を(動物病院)を改装したギャラリーで誰かに付き添われて
来たの最後にその姿を見ることはない。
彼女はいまどこに!
 
それから、展示会という展示会はクラフト系物販の延長線で
私もそこにいた。
しかたない、障害者だもの!
しかたない。
わたしは1日3時間半、そのうち掃除が30分のB型就業支援施設が
我慢できなくなった。
1日もっと長く、おおくの時間と割いて活動したい。
障害者扱いは障害者扱いのままでいい。
在宅で、たくさんの量描いた。
いろんな賞をめざして描いた。 
自宅の階段に狭い小屋作って
桟敷をつくって、絵を通してこの世の世相を描く吟遊詩人となった。
2022 12